“愛”……それは”迷宮”……。
■本当に「愛してる」という言葉が欲しいか?
たとえどれだけ私のことを想ってくれてても、言葉にしてくれなきゃ分からないょ。。。
という気持ちを抱え、日々悶々としている女性は数多くいるのではないでしょうか。
日本人(特に男性でしょうか)は、自分の気持ちを直接的に言葉などにして伝えることをしない、できないとよく言われます。
それは明け透けであること、あからさまであることを厭い、謙虚であることや奥ゆかしさを美徳とする日本人特有の価値観に基づくものでしょう。
しかし、中には当然のようにさらりと「愛してるよ」と言えてしまう輩もいます。で、こういう奴は大抵わりとモテます。
好意を直接的に言葉にできる男は少なく特別であると同時に、そもそも他人から好きと言われて嫌な気持ちになることはそうそうないからです。身の危険を感じない限りは、自己承認欲求を満たしてくれますし。
ですが、僕は常々思うのです。
そんな薄っぺらい言葉に騙されてはいけない!
と。
目を覚ますんだ日本の若者よ!
と。
そんな使命感と、大学の講義で聞いたなかで、なんとなく印象に残っている教授の話に基づき、今回の記事を書いていきたいと思います。
■そもそも「愛」とは外来語である
愛(アイ)は、漢字の音読みで表される言葉です。なので当然ですが、日本に元々あった言葉ではありません。外来語です。サラリーマンとかハンバーガーとか、アジェンダとかシナジーとかのカタカナ語達と同様です。
多くの漢字と共に伝わってきた「愛」という漢字をもって、日本人は「いとし」とか「かなし」と読みました。
いと・し【愛し】
①かわいい
weblio 古語辞典
②気の毒だ。哀れだ
かな・し【愛し】
①しみじみとかわいい。いとしい。
weblio 古語辞典
②身にしみておもしろい。すばらしい。心が引かれる。
この2つはどちらも形容詞ですが、動詞としての読み方もあります。「めでる」とかですね。
め・づ【愛づ】
①愛する。恋慕する。思い慕う。
weblio 古語辞典
②賞賛する。ほめる。
③好む。好きになる。気に入る。
「めづ」の意味としては「愛する」などがありますが、この言葉は今でも使われている「めでる」という言葉に繋がっています。
この「いとしい」「かなしい」「めでる」という感情や動作ですが、どちらかといえば子供とか動物とかの、自分より弱い立場のものに対して抱くような気持ち(いじらしいとか、可愛らしいとかですね)に近いものがあり、異性に向ける愛とは異なる種類のものではないかと思います。
僕たちが異性に向けて愛を伝える時は通常「愛してる」と言いますよね。「いや~愛でたいわ~」とは言わないでしょう。この「愛してる」という言葉の元となっているのは「愛する」という動詞です。
ところで「~する」という形のサ行変格活用の動詞は、基本的に(名詞)+「する」という形を取っています。
そして「愛」という漢字の「あい」という読み方は音読みなので、元々日本にあったものではなく、中国に根ざすものを指す言葉になります。
なんやよー分からんことを書き連ねてしまいましたが、要は「愛する」という動詞は「外来語+する」という構成で成り立っているということを言いたいのですよ。
つまり「サッカーする」とかと同様の構造カテゴリにある言葉だというワケです。
■LOVE=愛と理解するのは早計である
とは言いつつ、「サッカーする」という言葉の意味は当然分かります。サッカーには明確にルールが文章で定められており、それを(大体)共通認識として持つことができるからです。
なので友人から「おーい磯野、今日はサッカーしようぜ」と誘われれば、間違ってもバットとグローブは持っていかないし、サンダルじゃなくて動きやすく丈夫な靴を履いていきますよね。
では「おーい磯野、クリケットしようぜ」と言われたらどうでしょう。「カバディしようぜ」と言われたら? 「モルックしようぜ」と誘われたら、あなたはどういう準備をして現地に向かうでしょうか。
分かりませんよね。何故なら、クリケットもカバディもモルックもよく分かっていないから。「愛する」だって同じことです。だって愛が何かなんてよく分かってないんだもの。分からないよなあ?
だから「I love you」を「私はあなたを愛している」と訳すのは考えてみればおかしな話なわけですよ。外国語を訳すのにまた別の外国語を使っているようなものですからね。
言葉とはその言語圏に根差した「世界を見るための窓」だという見方ができます。
「虹の色数はその地域によって違う」という有名な話がありますよね。日本では7色とされていますが、アメリカなどでは6色とされています。
これは地域によって虹の色数が変化するのではなく、地域によって虹の色数をどう見るかが異なるためです。日本で虹の色は「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」ですが、世界の多くの国は青と藍色を区別しないんですね。
日本語では藍色と青を区別しているため、日本人は虹を7色と主観的に認識することができるわけです。
加えて、和訳することができない言葉なんてものもあります。
例えばドイツ語にある「Fernweh」という単語。これはホームシックと真逆の意味で「遠くへ行きたい、未知の場所へ行きたい」と思う状態を指す語のようです。
また、津軽弁では「居心地がいい、落ち着く、余裕がある」という意味を表す「あずましい」という語があります。
これらの単語、辞書的な意味で見ればもちろん理解することは可能です。「ふ~んへえ~そうなんだ。そんな意味の単語があるんだね」と覚えることもできます。だからと言って、これらの単語を本当に理解できるかどうかで考えれば、僕は理解できないと思います。
「Fernweh」という言葉の意味を理解できるのはドイツ語母語話者だけですし、「あずましい」という感覚を理解できるのは生まれた時から津軽弁を話している人だけです。
僕達の話す共通日本語にはこれらの単語が存在していなかったため、これらの感覚や感情を理解する力がないのです。
ここで話を「愛」に戻しましょう。
前述の通り、「愛(アイ)」とは元々日本語には存在していない、中国からやって来た言葉です。
即ち、日本語を話す僕達日本人には、本来「愛」を感覚する力が存在していないということになるのではないでしょうか。とどのつまり、日本人に「愛」は理解できない。
さあどうです。ここまでくれば、素面で「愛してる」などとうそぶく事のできる輩の空虚さが理解できるでしょう。少し目が覚めてきたかな?
■では我々に愛を伝えることはできないのか
そんなこと言われても、溢れる彼への想いは止められないわ! どうすればいいってのよ!?
こんな感じの憤りの声が聞こえてきました。ちょっと待ってください、簡単なことですよ。
その溢れる思いを「愛してる」という外来語由来の上に簡単な一言にまとめてしまうから良くないのです。
ストレートな物言いも悪くはないですが、これは自分の気持ちを相手に伝えるという行為に対して楽をしているということに他ならないのではないでしょうか。
言うなれば「私のどこが好き?」と聞かれて「うーん、全部!」と答えるのと同義です。こんな返答したら「キィー! 真面目に答えなさいよねっ!」と怒られてしまいます。今どきこんな女の子はいないかな?
「直接その言葉を用いずに、その言葉を相手に想起させることが重要である」という旨の文句は、ライターやデザインや、ビジネスの中でも出てきます。つまり「愛してる」という気持ちを伝えたいのならば、「愛してる」という言葉を使ってはダメよ~ダメダメなのです。
「I love you.」を「月が綺麗ですね」とした夏目漱石の逸話は有名です。日本の文豪たちは、様々な言葉を駆使して「愛してる」を伝えてきました。
溢れるくらいに大きい気持ちなら、「愛してる」なんてよく分からない一言で伝えきれるようなものではないはずです。ならどうすれば良いか。
文豪達のように言葉を紡ぐのです。感覚や経験や知見や語彙、自分のもてるありったけを総動員し、世界で1つだけのセンテンスを生み出すのです。それはどこかから借りてきたような薄っぺらい言葉ではなく、紛れもなくあなたの血肉と魂のこもったあなただけの言葉です。
上手くいかなくても大丈夫。だって僕達は文豪じゃないから。「自分の気持ちを自分の言葉で伝える」という行為こそが大事であり、尊いのです。
「君と食べるご飯が一番美味しい」でも良いし、「あなたの髪の匂いが好き」でも良いし、「食べちゃいたいくらい可愛いねえ!」でも良いっちゃ良いでしょう。ちなみに3つとも今僕が考えました。……なんですかその顔は?
簡潔な言葉というのは、簡潔であるが故に改めて考えるとよく意味を理解していないということが往々にしてあります。多少不格好でも良いんだ。自分自身で振り絞った言葉こそ重みがあるんだ。
というワケで改めまして。
愛してると簡単に言える奴を信用するな。
なんだか怪しい教祖みたいになってきてしまったので、今日はこの辺でドロン。