”人生は自分次第で何とでもなる”なんてよく聞く話ではありますが、本当にそうだろうか?と疑問に思う人は多いでしょう。
「親ガチャ」「先生ガチャ」「上司ガチャ」なんていう言葉が生まれるくらい、運によって人生左右されると思っている人も多く、当然これらの要素は自分で選ぶにも限界があります。
まさに引いてみないと何が出るかわからないガチャのように、どんな人と巡り合えるかはわからないのです。
これらのガチャは”人”の要素が大きいですが人も含めて、”生まれ育った環境”というのは人生でとても重要な要素だと思っています。
学生時代は意識することはなかったですが大学に入学した時から気づき始めて社会人になってから痛感しました。
この考えが自分の中でも明確に確立した2018年の記事を上げておきます。
私の経験はこの記事に出てくるお話からすればものすごくスケールが小さいですが、とても共感したことを今でも覚えているし、5年前の記事だけどスマホにブックマークしていて、たまに読み返します。
今回は、私の今までの経験を基に”生まれ育った環境”がどれだけ重要か書いていきます。
また、私自身、現在2児の父親としてどう子育てしていくべきなのかちょっと考えてみます。
【私の生い立ち】自分は大学に行けないと思い込んでいた
上記の記事に似た感じで書いて行こうと思います。
まずは、私の生い立ちから。
新潟県新潟市で生まれました。現在に至るまで新潟市から、もっと言えば西区から居住を外に構えたことがありません。
新潟市と言うと政令指定都市に指定されていて、それなりに大きい地方都市ではありますが、私の実家は新潟市の中でも中心地から外れていて西区と西蒲区の境目のあたりにあります。
最寄りの駅まで自転車で20分くらいで、周りには畑や田んぼしかないような農家が中心の集落です。今時期の5月は田んぼに水が入ればカエルの鳴き声がうるさい、そんなところ。
小学校は1学年14人でした。全校生徒100人いなかったです。中学校も1学年27人。もちろん全校生徒100人いない。
新潟市と言ってもそんな地域もあるんですよね。
実家は自営業でした。父親と従業員2人でやっている小さな事業。母親は自営業のお金の管理をしつつ、パートへ。
そんな親を見てきたので、サラリーマンというのが身近にいませんでした。なので、勉強がそこまで得意ではない自分は中学校2年くらいまでは漠然と実家を継ぐのだと思っていました。
親戚や近しい人に大学出身者はいません。もちろん父親も母親も大学に入っていませんでした。
なので、大学がどんなところかもわからないし、自分が唯一知っている実家の事業を父親とやるんだと思い込んでいたのです。
そもそも、大学は頭の良い人しか行けないと思っていたので成績が悪く、勉強も好きではない自分は大学に行けないと思っていました。というか、そんなことすら思ってもいなかったかもしれません。
ですが、中学3年生で半ば強制的に受けさせられる高校受験対策の模試を受けると、意外といい点数が取れて進学校と呼ばれる高校に入れそうだということがわかります。
それまでは実家を継ぐためには工業高校で実家の事業専門の学科に行ければいいと思っていました。母親もそんなスタンスでした。
ですが、進学校に行けそうだとわかり、うろ覚えですが、親は実家継ぐなら工業高校だけど、まだ決めなくてもいいから普通科に行ってもいいんじゃない?と言ってくれたような気がします。
その一声もあり、行けそうな進学校を受験させてもらい、入学することができました。
高校受験では、家庭教師もつけてもらいました。恵まれていたな、と思います。家庭教師と言っても、半分以上先生の大学生と遊んでただけだった気がしますが…笑
ここで初めて大学生と接しました。漠然と大学というものが意識されたように思います。
高校は進学校と言っても中堅の進学校で、1学年360人から国立大学への進学者が50人程度だったと思います。
中学でも勉強はそこまで得意じゃなかったので、高校でも定期テストは中の下くらいの成績でした。360人中200位前後をうろうろしてた。
高校2年の時点で、卒業後はやはり実家の事業を継ぐための何かしらの学校に行くことになるんだろう、そんなことを思っていました。
ですが、理系のクラスだったこともあり、周りの友達は大学受験の準備を始めます。進学校なので、2年の秋頃からは定期的に模試が行われることに。
たしか土日が潰れることもあって面倒に思っていました。ですが、波に飲まれるように進学の勉強や対策を始めます。
気づくと、高校3年の夏休みの夏期講習を超えたあたりからなぜか模試でいい点数がとれるようになり、学年の中でも10位以内の点数が取れることもありました。平均すると100位以内だったと思いますが、定期テストが200位前後をうろうろしてた自分にとっては脅威的な追い上げだったと思います。
先生に勧められるがままに、志望校を新潟大学にしていましたが、模試の判定がB、Aになり大学進学の可能性が高くなりました。
新潟大学と言えば「新潟県内で一番良い大学=頭がいい人が多くては入れたらすごい」ということくらいしか周りの大人からは聞いていませんでした。
この時点で、実家を継ぐことと大学進学で揺れるわけですが、父親は、「事業を継ぐよりも、まずは大学に行けるなら行った方がいい」と言ってくれてました。
高校受験同様にこのような親の後押しもあって、センター試験結果を見て受かりそうないくつかの大学から、新潟大学を選んで受験6⃣し、入学できました。
なんかよくわからないけど、自分は行けないと思い込んでいた大学に入学できたのです。
”生まれ育った環境”が与えてくれる影響は凄まじい
”なんかよくわからないけど…”と書いたのは本音で、今でも本当にそう思っています。
やっぱり勉強は今でもそうですが好きではないし、学校で習うような科目の勉強は本当に苦手だと思います。
高校受験も大学受験もたくさん勉強したか?と言ったら、きっと同級生と比べて全然してなかったと思います。
だから、自分が努力して得たものと言うよりは、 ”なんかよくわからないけど”大学に行くことができたという感覚が正しいですね。
じゃあ、なぜ大学に行けたのか?を考えてみると、”生まれ育った環境”の影響が凄まじいな、と思います。
・中学校の担任の先生が良かった
進路相談など親身だったように思います。
・高校受験の時に大学生の家庭教師をつけてもらった
勉強面と言うよりも、大学生と接することができて大学への意識が少し芽生えた。
・高校が進学校だったので進学への環境が整っていた
高校の進学対策の波に乗るだけだった。
・親が大学への理解を示してくれていた
実家を継いでほしいの一辺倒ではなかった。
親も私が大学に行けるとは思ってなかったと思いますが、合格した時は結構喜んでくれたようです。
ただ、大学合格したはいいけど、何をするところなのかよくわからないまま入学しました。
シラバスなるものを見ながら自分で授業を選んで単位を取得して卒業しなければならない、というところから入学直後のオリエンテーションで初めて知りました。
高校までは波に乗ればなんとかなっていたけど、大学からは自分で何とかしなければならない要素が強くて右往左往した覚えがあります。
”なんかよくわからないけど”と思うのは、環境が作ってくれたからであって、自分の努力でここまで来たという感覚ではないからです。
冒頭にも少し触れましたが、世の中「人生自分次第」「自己責任論」とかありますけど、生まれ育ちは自分でコントロールできません。
”生まれ育った環境”は人生のすべてではないけど、大きな影響を及ぼすのは確実です。
親ができるのは子どもにたくさんの選択肢を与えること
自分の経験から、子どもにはたくさんの選択肢を与えられるようにしたいと思っています。
私が子どものころよりも、情報も多いし、いろんなことが豊かになっています。
私の子どものころは漠然と、実家の自営業を継ぐんだろう、という考えしかありませんでした。それは情報量の少なさから選択肢がほとんどなかったから。
知らなければ0は0なので、知っているか知っていないかはとても重要。親が子どもに与える影響力が強いことも理解しているつもりなので、なるべくたくさんの情報を与えて選択肢を増やしてあげることが大事かなと思います。
いろんなところに連れて行ってあげる、習い事をさせてあげる、本を読んであげる、一緒に料理をする、などなど…
仕事や勉強が辛いもの、疲れたなどというネガティブなことは言わないようにする、と言うのも重要なことですね。ネガティブな認識を植え付けると子どもの選択肢を狭めることに繋がりかねないので。
親の言うことが絶対ではないけど、影響力は絶大であるということは理解するべきです。
子供が幸せな人生を送れるようアシストする気持ちで子育てしていこうと思います。